〓 きたまちの歴史 〓


きたまち創作童話:一般応募から、最優秀受賞作品
 馬六と観音さま

練馬区北町旧跡研究会
 私たちの街 『きたまち』ってこんなトコです。

 

きたまちの歴史:動画

■東京23区の北西部に位置する練馬区の、最も北寄りにあるのが私たちの北町です。

「練馬」の地名の発祥の地ともいわれ、江戸時代には江戸五街道に次ぐ脇往還のひと

つ、川越街道の宿場町として栄えた土地です。

現在、その場所とほぼ同じ所に私たちの2商店街(きたまち・ニュー北町商店街)が

あります。旧川越街道沿いに東西約600Mにわたる2商店街には北町聖観音坐像(石

観音)、富士塚など歴史的資産もいくつか残されています。

 

「練馬宿」について

■江戸から川越を結ぶ川越街道の十一里のあいだに六ヵ所の宿駅があり、そのひとつが「練

馬宿」で現在の北町1〜2丁目のあたりにその街並みが形成されていました。当時は輸送に

要する人馬不足の時、これを他村から割当てる制度がありましたが、練馬宿は大村であった

ため、人馬は自村で全て調達していました。 「練馬のむかし」 神代武男 著より抜粋

 

「北町観音堂(石観音堂)」

■ここには、天和2年(1682)銘の「北町聖観音坐像」をはじめ馬頭観音や庚申塔など数多くの石造

物があります。江戸周辺を探訪した小石川の僧が記した紀行文「遊歴雑記」にも、文化12年(181

5)にここを訪れた記述があり、往来の人々の信仰や赤塚村への分岐道の目印ともなっていたこと

が分かります。

   「北町聖観音坐像」 練馬区指定有形民俗文化財 平成8年2月指定

高さ270cm、区内最大の石仏。背には「武州河越多賀町隔夜浅草光岳宗智月参所  奉新造聖観

音為四恩報謝也  時天和2年8月・・・」、台座には川越街道沿いの29の地名が刻まれています。

「北町の仁王像」  練馬区登録有形文化財 平成11年1月登録   

■向かって右、阿形像、左、吽形像。重厚な造りの像で、両像の背には「天和3年・・・奉立之施主光岳

宗智・・・」の銘があり、聖観音坐像建立の翌年に建てられたことが分かります。

                               練馬区教育委員会  堂内 立て看板より

      

 

「富士塚」

■当社は明治先代に上駅地に築かれたと伝えられ、徳川五代将軍綱吉の頃には時をあげての

祭典もあり、又、古くこの地は宿場街として大変な賑わいを見たところで、以来、富士浅間神社

の霊山として厚く崇敬され今日に及んでいる。(境内、立て看板より)

「練馬」の地名の由来

■いくつかの説がありますが、そのひとつに「あちこちから集めてきた馬を訓練していた場所」と

いうものがあります。昔は「馴らす」という事を「ねる」と言っていたそうで、「ねるうま」がなまって

「ねりま」と呼ぶようになったという言い伝えがあります。「ねりまの昔ばなし」練馬区教育委員会より抜粋

当商店街は、安全かつ安心してお買い物ができるように心がけています。
きたまち商店街振興組合 東京都練馬区北町2-21-13


資料提供:とんかつ まるとし:宮島 貞雄

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